レーガン君が意地になって復活させたB-1であるが,カーター政権時とは事情が変わり 直接の侵攻を考える必要が薄くなった為 B-1Aの時に最も重視された低空での高速性能を緩和された。よってB型は、いろいろな装備を付ける事が可能となり 燃料も増やすことが出来た。また レーダーの反射を少なくする塗料の開発で 反射率が極端に減り B-52の100分の1なんていわれるようになった。F-111のような重い脱出用のカプセルも廃止され より機能的になったB-1Bは、いよいよ実戦配備に就くのである。最初に配備されることが決まったのは ダイエス空軍基地の第96爆撃航空団である。当時SACの爆撃航空団の1つであった96BWは、第2次大戦中ドイツ爆撃で 1943年最も損害率の高い航空団として その激戦がたたえられ ベトナム戦においても1972年のライバッカーU作戦の際 SA-2によってB-52Dを失っている歴戦の部隊であった。当初B-1Bは尾翼にテキサス州旗と牛の頭蓋骨を書き込んでいた。
B-1B's Page

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ダイエス空軍基地は、テキサス州アビリンと言う市の南に位置する。1942年陸軍航空隊のパイロット養成のために作られたとされ P-47サンダーボルト戦闘機のパイロット訓練を行っていた。ダイエスの名は、テキサス州出身のウィリアム・E・ダイエス海兵隊中佐の栄誉をたたえて付けられたとされる。彼はバターン・コレヒドールの戦いで日本軍の捕虜になったが 脱出してゲリラ戦を戦い 後にP-38の墜落によって死亡している。ダイエス基地はその後SAC戦略空軍の基地として B-47、B-52が運用された基地であるが 一時期はTACの基地として使われたこともあったようだ。基地内に大きな航空機展示公園を持っていることでも有名である。上写真は 9th BS所属のB-1B 86-1013”Reluctant Dragon”気乗りしない龍号・・・?? 
民主党カーター政権時代から 共和党の次の大統領候補として名前が挙がっていたレーガン氏は、カーター君の弱腰外交に鋭い批判を行い、よくニューズウィーク誌などには 弱そうな保安官のカーター君に揺さぶりをかけるガンマン姿のレーガン君の姿を描いた風刺漫画が掲載された。正に保安官の地位を狙う悪いガンマンのように書かれていたが カーター保安官が「ライフル(B-1)なんて飛び道具、この町には必要ない・・」と言って排斥したものを 「そんな平和主義を唱えているから よそ者(ソ連)をのさばらせるんだ!」とレーガン保安官になったとたんに買い戻したようなものである。どっちが良いかと言っている訳ではなく 政治とは常にそう言うものであり B-1も政治に揺さぶられた代表的な爆撃機だったわけである。カーター政権時代は、大統領だけでなく B-52やC-5Aギャラクシーですら B-1発注のライバルとして 前に立ちふさがった。B-52を延命しようとするボーイングの一派はクルージングミサイルの搭載をもって 有人爆撃機の敵地進入を時代遅れとした。C-5Aはと言うと 何とICBMをお腹に積んで哨戒飛行をするというプランである。一般にICBM(大陸間弾道弾)は、発射したらキャンセルが利かない報復手段であったから C-5Aに積んで空中発射できるようにしておけば 敵の先制攻撃があった際に 確実に報復が出来るので撃ち間違いがないというわけである。ロッキードもボーイングもよくやるよ・・・であるが、大きな金が動くとなると 空軍対海軍の予算取りどころか 空軍内部でも政治家を使ったロビー活動が盛んに行われB-1は、その優秀な性能にもかかわらず一時は日の目を見ないで終わるかに見えたのだ。
一度キャンセルになったが ロックウェル社は試作4号機をもって 試験機として細々と飛行実験を繰り返していた。しかし 結果として この時間をかけてゆっくり試験を繰り返し 欠点を改善してきたことが後で功を奏すことになる。
B-1Bのエンジン吸気口とノズル。元々A型では、空気取り入れ口を可変式にしてマッハ2の速度を狙っていたが B型は1.2マッハの要求しかないため 経費の節減のため固定式のものに変更した。カバーがかけられているので 見えないが エンジンのファンが直接レーダーを反射しないように 入り口を曲線で纏めている工夫もされている。
第96爆撃航空団(96BW)は、第2次大戦中第8空軍の傘下 ドイツ各地を爆撃した航空団の一つで メッサーシュミット戦闘機の生産工場のあったシュバインフルトや兵器生産に欠かせないボールベヤリング製造工場のあったレーゲンスブルグなど 当初第8空軍が主目標にした地区の重点爆撃任務についていた。1985年6月にダイエスには、29機のB-1が配備され 第337爆撃飛行隊(337BS)と訓練担当の第338戦闘訓練飛行隊(338CCTS)に配備された。この頃の96BWは、戦略空軍(SAC)の傘下にあり 尾翼のテールレターなどは無い、前述の通り テキサス州旗に牛の角をあしらったマークをフィンチップに入れていた。
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Insignia of 9th BS
Insignia of 96th BW
B-1A試作4号機を改造してB型の試験機として使われた初期のB-1B。1982年9月ファンボローの航空ショーに始めて展示されたたコールサイン”Wery 20”(76-0174)、当時注目された砂漠迷彩である。
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クルーは、B-1BがACCに移管された後 任務を引き継いだ7tn BWのものである。
96BWに変わり 現在では第7爆撃航空団がB-1Bを引き継ぎ,2個飛行隊を運営している。
ダイエス空軍基地(Dyess AFB)にB-1Bが最初に配備されたのは1985年6月29日、生産予定数は、たった100機ではあるが 当時SAC期待の戦略爆撃機として 第2次世界大戦でB-17F,Gを持って活躍した第96爆撃グループの血を継ぐ96BWにこの新鋭機を配備した。レーガンは、B-1B復活の際 この爆撃機に多数のクルージングミサイルを搭載させて運用する方向で予算を承認させたので 当初の敵地に対する直接低空侵入という概念はなくなっていた。以前と比べ 当時ソ連の防空網も整備が進み B-1Bをもってしても 直接の進入爆撃は成功率が低すぎると言うのが定説になっていたからである。
第7爆撃航空団(7th BW)傘下の第9爆撃中隊(9th BS)所属のB-1Bで 9th Bsのインシグニアである 探照灯が夜空を照らす絵柄が 機体にも描かれている。B-1Bには1機1機個別の愛称が付けられているが この86-0110は、”Stairway to Heaven"(天国への階段)となっている。